1946〜 episode.01〜05 “理想”の誕生と印刷機材メーカーへの道

episode.01 「理想を失ってはいけない」の決意を胸に、謄写印刷業を開始(1946年)

1945年夏に、創業者 羽山昇は陸軍士官学校を卒業し、少尉任官後わずか2週間で日本の敗戦に直面。軍人の道を断たれ教職に就くため大学に進学する一方、学費と家計を支えるために、東京・世田谷の自宅に謄写印刷業 理想社の看板を掲げました。

「日本がどうなるか分からないときだから、人は理想を失ってはいけない。どんなときも理想を貫いていこう」という羽山の決意が、そのまま社名となります。1948年9月に、業務拡大のため営業所を日本橋兜町に移転するとともに、社名を理想印刷社に改称しました。

次第に仕事を増やしていった理想印刷社。誠意と工夫そして働くことで、そのまま成果となる正直な一面を持つ謄写印刷業の魅力に惚れ込んだ羽山は、公職追放令により教師の道を断たれたこともあり卒業に際して、事業継続を決意しました。

1945年頃の創業者 羽山昇

episode.02 スクーター事故を機に、日本初のエマルジョンインクを開発(1954年)

理想科学の前身である理想印刷社は、イギリス製の新鋭印刷機を導入し、インクもイギリス製のエマルジョンインクを使っていました。このエマルジョンインクは、当時の日本にはまだ製造ノウハウがなく、イギリスから輸入するしかなかった希少品。取引先から「インク入荷」の連絡が入ると、創業者 羽山昇は自らスクーターを運転、受け取りに行くことを常としていました。

ある日も、羽山がスクーターでインクを受け取りに向かっていたところ、飛び出した人を避けようとして電柱に激突。足を骨折し、入院を余儀なくされました。病院のベッドで羽山は、インクについて真剣に考えます。「いつまでも輸入による供給に頼っていては、事業は伸びない。いっそ自分で作ってはどうか」。ここから、独自インクの開発が始まりました。

不退転の決意でのぞんだ羽山は、自宅に開発専用の実験室を建て、1年半にわたって試行錯誤を繰り返しました。結果それが実を結び、本邦初のエマルジョンインク「RISOインク」が誕生しました。

これを契機に、理想科学は謄写印刷業から「類のないものを創る」印刷機材メーカーへの第一歩を踏み出したのです。

スクーターにまたがる創業者 羽山昇
本邦初のエマルジョンインク「RISOインク」

episode.03 「RISOインク」品質向上のため、輸送船の船倉で「いじわるテスト」

日本だけでなく海外からの引き合いも増えてきた「RISOインク」が、日本とは異なる気温や湿度のもとでも安定した品質を保ち、きちんと性能を発揮できるか。輸送中の振動でインクが変質してしまわないか。安定した品質を重視するため、そこが最大の心配事でした。

そこで創業者 羽山昇は、世界の海を航行する輸送船の船倉に「RISOインク」を積載。長期にわたって絶えず振動し、温度・湿度が変化し続ける環境で「RISOインク」がどうなるのか、「いじわるテスト」を実施しました。太平洋からインド洋、地中海からシベリアまでをめぐる2年の船旅を終え、帰還を果たしたインク。おそるおそる開けてみると、出荷時と同じ状態を保っていたのです。

この品質にこだわる厳しい姿勢は、「作り手」ではなく「印刷機を使う側のプロ」として自社製品を厳しく律し続けてきた結果です。

1960年頃、海外に輸出される「RISOインク」の船積み

episode.04 虫眼鏡をヒントに。「お化けみたい」な感熱製版機「RISOファックス」発表(1966年)

謄写版印刷、通称・ガリ版印刷は、その名の通り鉄筆を使ってガリガリと手書きで版を作っていたため、製版に時間と手間がかかっていました。もっとこの作業を効率化できる方法はないか…。そこで思いついたのが「光による製版」です。虫眼鏡で太陽光線を黒い部分に集めると、やがて熱を持ち、焦げて紙に孔が開きます。この原理に基づき、感熱製版機の試作と研究を開始。できあがった新製品が、感熱式製版機「RISOファックス」と製版原紙「RISOマスター」です。

当時の製版機の性能では、製版に5分〜10分かかるのが普通でした。しかし「RISOファックス」は、数秒で製版が完了。その速さに驚いた人たちからは「お化けみたい」と称され、発表会では集まった多くのビジネスマンからの反響は上々で、デモ機の周りには黒山の人だかりができました。

1967年発売の「RISOファックスJF-7」と「RISOマスター」

episode.05 未曾有の倒産危機に直面、新たな製品開発で危機を突破

1968年、感熱式製版機を販売する世界的企業から、「RISOマスター」のOEM供給の要請がありました。当時まだ規模が小さかった理想科学は、これを世界進出とビッグビジネスのチャンスととらえて受諾。大量の注文により、急激な売上拡大に成功しました。翌1969年、新たな工場を着工し、さらなる生産体制の強化に備えました。しかし、急に発注が減少し、ついにはゼロに。この影響で、創業以来の危機を迎え、経営破たん寸前まで追い込まれました。

企業存続のため販売拡大に取り組みながら、羽山が生き残りをかけて力をいれたのが新たな製品の開発でした。新しい挑戦に二の足を踏むであろう逆境にあっても、危機を打開するには新たな製品の開発しかないと考えました。これにより、1972年に革新的な視聴覚機器「オーバーヘッドプロジェクター750」とオーバーヘッドプロジェクター用の製版機「RISOトラペンアップTU-230」を完成。学校やオフィスで授業や会議を一変させるほどの製品となり、理想科学の危機突破に大きく貢献しました。

1968年 霞ヶ浦工場第2期工事完成

1977〜 episode.06〜08 ハード開発と販売に積極的に挑戦〜 孔版印刷機器総合メーカーへの躍進

episode.06 空前のヒットにより、「プリントゴッコ」が年末の風物詩に(1977年)

理想科学は、製版と印刷の工程を同じ機構に収めるアイデアで、印刷機を使いやすく、コンパクトにした家庭用簡易印刷機を開発。それまで家庭で作る年賀状といえばイモ版か干支のハンコが普通だった時代、常識をくつがえした画期的な印刷機「プリントゴッコ」が誕生しました。

名前の由来でもある「ゴッコ」遊びは、親から子へ日本の文化や風趣を伝える「知育」でもあります。創業者 羽山昇は、「親子で“印刷ゴッコ”を楽しんでほしい」、そんな思いを込めて名づけました。

こうして生まれた「プリントゴッコ」は、発売後爆発的なヒットを記録し、販売台数は20年で1,000万台を突破。「プリントゴッコ」による年賀状作りは、家庭における年末の風物詩になりました。

「プリントゴッコ」の店頭販売

episode.07 試行錯誤の連続。印刷機「リソグラフ」の開発(1980年)

理想科学は、エマルジョンインクとマスター、その良さを引き出す独自の製版機を開発してきました。しかし、当時流通していた印刷機は昔からある油性インクに対応したものがほとんど。そうした印刷機すべてに適した消耗品を作るのは難しく、自社の消耗品の性能を十分に発揮できず悔しい思いをしてきました。「それなら、印刷機も自分たちで作るしかない」と創業者 羽山昇は一大決心。印刷機の自社開発に乗り出しました。

初めての印刷機開発は困難を極めました。そこで試作機に課したのが「100万枚テスト」。当時オフィス用印刷機の耐久性の限界といわれた100万枚の印刷を敢行。お客様視点で目を皿のようにして試作機をチェックし、不具合には開発スタッフが応えていくという試行錯誤の連続でした。その結果誕生したそれまでの印刷機の常識をくつがえす「リソグラフ」は、社員たちさえもあっと驚かせ、急速に全国に販売を広げていきました。

印刷機という新しい技術への挑戦は、ハードとサプライのベストマッチとともに、理想科学を印刷機総合メーカーへと大きく飛躍させました。そしてそれは同時に、理想科学のものづくりの精神が誕生する契機でもあったのです。

二人一組・交代制で実施した「100万枚テスト」
各担当者がテスト実績を記録していった進行表

episode.08 海外の事務機見本市でも、賛辞を浴びた「リソグラフ」(1982年)

日本国内で高い評価を受けた「リソグラフ」は、海外での展開に先立ち、1982年世界最大級の総合見本市であるドイツ・ハノーバメッセと、1984年アメリカ最大級の事務機フェアNOMDAに出展。そこでも圧倒的な賛辞を浴び、海外での確かな手ごたえをつかみました。

リソグラフを売りたいと希望する海外ディーラーが続出するものの、すぐ海外展開への一歩を踏み出すことはしませんでした。単に印刷機を売るのではなく、お客様に安心してご使用いただくためにはインクなど消耗品の安定供給と迅速な修理対応が重要であり、そうした販売体制の整備が先と考えたからです。まず現地に赴き、信頼できる販売パートナーを探しました。

こうしたメーカーとしての「当たり前」を徹底するために、強固な販売体制づくりに取り組みました。この考え方は、日本のみならず、世界を相手にするときであっても譲れないこだわりでした。

ドイツ・ハノーバメッセで注目を集める「リソグラフ」

1986〜 episode.09〜11 先端技術を携え活躍の場を世界へ

episode.09 世界展開の足がかりとして、販売子会社設立(1986年)

「未来を担う子どもたちのために、世界の学校教育の現場でリソグラフを役立ててほしい」。創業者 羽山昇の熱い思いを受け、理想科学の海外展開がスタートしました。

1986年、アメリカ・マサチューセッツ州への進出を皮切りに、ヨーロッパやアジアへ営業拠点を次々に拡大。現在は、欧州・米州・アジア・中東・アフリカなど、世界180以上の国や地域の教育機関や官公庁、企業や地域社会などで利用され、事務用印刷機として世界トップシェアの支持を得ています。

1996年 インド・ニューデリーの学校訪問(創業者 羽山昇)

episode.10 製版のデジタル化に成功し、新孔版時代の幕を開く(1986年)

理想科学は、これまでのアナログの感熱製版方式から製版のデジタル化に成功。製版能力を拡大した「リソグラフ007D」を1986年に発表し、新孔版時代の幕を開きました。

またデジタル化を機に、1988年には当時オフィスの文書作成の主力だったワープロとリソグラフを接続し、ワープロからの直接出力を可能にするシステムを開発。その後この技術はパソコンから直接出力できる印刷システムへと発展していきました。

1986年 「リソグラフ007D」展示会風景

episode.11 初の海外生産拠点となる、中国・広東省で操業開始(1999年)

1965年、茨城県に霞ヶ浦工場を竣工して以降、1981年に茨城県の筑波工場、1986年に山口県の宇部工場と、次々に国内製造拠点を配置してきた理想科学。さらなる需要拡大に対応するため、1999年に初めての海外生産拠点となる、中国・広東省珠海市の工場が操業を開始しました。その後も、中国の深圳、タイのアユタヤに工場を設立して、グローバルな生産体制へとシフトしていきました。

1999年 中国広東省に珠海理想科学工業有限公司設立

2003〜 episode.12〜14 カラープリントを身近にする高速インクジェット方式のプリンターを開発

episode.12 世界最速のプリントスピード「オルフィス」誕生(2003年)

1990年代後半、オフィスで使われるプリンターはモノクロが主流でした。カラープリンターの出力単価は高く、まだまだ手の届かない存在でした。コストが高くて印刷時間がかかるカラープリントを、もっと気軽に使えるようにしたいという思いで開発したのが、高速カラープリンター「オルフィスHC5000」です。

4色を並列に配置して一度にインクを吐出させるライン型インクジェット印字ヘッドの採用、高速印刷に最適な油性顔料インクの開発など、これまでにないさまざまな取り組みに挑戦。さらに、デジタル印刷機「リソグラフ」で培った高速用紙搬送技術を融合させることで、今までにない高速カラープリンターを実現しました。

オリンパス株式会社との共同開発で生まれた「オルフィス」は、発売以来オフィスプリンターとして世界最速のプリントスピードを更新し続けています。

2003年 東京国際フォーラム(有楽町)で開催された新製品発表展示会

episode.13 簡単に製版できる、デジタルスクリーン製版機「GOCCOPRO」登場(2011年)

布類、プラスチック、金属など、さまざまな素材に印刷できるスクリーン印刷。理想科学では、これまでに培ってきた製版技術を活用して、プリンター感覚で簡単にシルクスクリーン製版できる業務用製版機「GOCCOPRO」を開発しました。特殊な技術や設備を必要とせず、高速かつ低コストでスクリーン印刷用の版(マスター)を製作できます。Tシャツやチームウェアへのオリジナルプリントに加えて、テキスタイルデザインなどのクリエイティブ分野でも幅広く活用されています。

2011年 日本最大の手づくりホビーフェア「日本ホビーショー」に出展

episode.14 震災に負けない。人々をつないだミニコミ紙とリソグラフ(2011年)

東日本大震災により、甚大な被害を受けた宮城県気仙沼市。一部を除いて2週間以上も停電が続き、人々は自分たちや街がどんな状況下にあるのか知る術がありませんでした。

そんな中、地元の藤田新聞店は、避難所や自宅に残った住民間の情報共有やきめ細かな情報発信のため、約10年以上前から不定期発行してきたミニコミ紙「ふれあい交差点」の「災害特別号」を震災4日後に発行。その後は連日発行し続け、情報伝達や住民同士の交流などを後押ししました。

理想科学は、印刷にリソグラフを使っていた藤田新聞店へ紙やインクを提供。地域の人々に情報と安心を届けるミニコミ紙の発行を支援しました。

電力供給のままならない被災地でも活躍するリソグラフ。地域へ情報を届ける。

2013〜 episode.15〜17 理想を追い求めて

episode.15 高い環境性能が認められ、平成25年度省エネ大賞を受賞(2013年)

一般財団法人省エネルギーセンターが主催する、平成25年度省エネ大賞の製品・ビジネスモデル部門において、高速カラープリンター「オルフィスEXシリーズ」が「省エネルギーセンター会長賞」を受賞しました。

これまで「オルフィス」は、多枚数プリントの領域で高速かつ低コストという特長で、他製品にはない付加価値を提供してきました。「オルフィスEXシリーズ」では、スリープ時の待機電力の見直しをはじめ、軽量紙の高速搬送技術や両面印刷に適したインクなどの開発により、従来の高速印刷性能を保持しつつ高い省電力性能を実現。スピードやコストに加えて環境性能も優れていることを証明しました。

2014年 東京ビッグサイトにて行われた表彰式

episode.16 「理想開発センター」設立。さらなる「世界に類のないもの」の創出を誓う(2013年)

茨城県つくば市に「理想開発センター」が開所したのは2013年6月。分散していた開発関連部署を集約し、情報伝達や開発の効率化、相互コミュニケーションの円滑化などを図りました。以来、開発から製品化、販路設計なども含め、迅速に世界中のお客様に向けて製品をお届けできる環境を強化しています。

数々の画期的な製品を生み出してきた、技術力と開発力を結集したこの「理想開発センター」から、次の「世界に類のないもの」を創り出していきます。

理想開発センター(茨城県つくば市)

episode.17 国際会議「COP21」のオフィシャルパートナーとして、約300万枚の印刷を支える(2015年)

フランス・パリで開催された「国連気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)」。世界196の国と地域が、2020年以降の断続的な温暖化対策を進めるための取り組み「パリ協定」を採択しました。この歴史的な合意の舞台となった「COP21」のオフィシャルパートナーとして、RISO FRANCEは8台の高速カラープリンター「オルフィスEXシリーズ」を提供。会議に使用する契約や条約関連の書類をはじめ、約300万枚にのぼる印刷物の出力を担いました。

高速印刷による高い生産性、信頼性と省エネルギー性能を両立したオルフィスには、国連関係者から高い評価が寄せられました。

フランス・パリで開催されたCOP21会場
COP21の印刷室に8台並んだオルフィス