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「理想の詩」理想的時間旅行(2017年冬号)

Vol.6 リサイクル

理想科学のオルフィスは、伝票や請求書など、帳票の大量プリントに活用されています。
帳票の原型のひとつである「大福帳」は、いつ頃生まれ、どのような役割を果たしていたのでしょうか。

ABOUT ─縁起のよさから名づけられた─

「大福帳」とは、江戸時代から大正時代頃まで、商家で用いられた帳簿の名称。縁起をかついだ商家が“何かめでたい呼び名を”と名づけたことから生まれたとされる。営業種目や業態によって内容はさまざまだったが、主に売掛金の発生、回収、残高を得意先別に記載する管理簿として用いられていた。


弘化3年『大阪商工銘家集』池田屋弥兵衛店。
右手奥に帳場机が描かれている。

HISTORY ─質屋の備忘録から始まった歴史─

室町時代の質屋がつけていた債権の備忘録が、日本の商業帳簿の始まりとされている。その後も長らく帳簿は「備忘録」の域を出なかったが、江戸時代中期には活発化する商業活動に合わせ、拡大する取引を把握し、経営の効率化や業績管理を図るための帳簿(=大福帳など)が普及していった。明治以降は企業に西洋式簿記が次々と導入され、日本に昔からあった帳簿は姿を消していった。

COLUMN 1

時代の変わり目に揺れ動いた商都「大阪」

地方によってばらばらだった通貨は江戸時代に金・銀・銭という3種に統一され、商業活動が大きく活発化する。士農工商で最下位とされる商家が大名に金貸しをするのは、実質的な力を持っていた証でもある。しかし銀を中心に取引を行っていた大阪では、明治時代に金本位制に切り替わった際、両替商の多くが大打撃を受けたほか、大名貸しを行っていた両替商も、新政府下における大名家の消滅とともに多くが切り捨てられていった。

COLUMN 2

豪商「鴻池家」の大福帳

鴻池家は大阪を代表する両替商。苦しい財政事情を抱える大名を相手に貸しつける、いわゆる大名貸しを行っていた。幕末の嘉永2(1849)年の大福帳(写真右)をめくると、「諸方預け銀」との項目名に続き、「尾州(びしゅう)様」(尾張徳川家)、「御公義(ごこうぎ)様」(江戸幕府)とあり、貸しつけ額はそれぞれ234貫目、600貫目。現代の金額に換算するとおよそ4億円、10億円に相当するという。

〈取材協力〉大阪商業大学商業史博物館

1983(昭和58)年に谷岡記念館内に設置された商業史資料室・郷土史料室を基盤にした博物館相当施設。蔵屋敷・市場・大阪三郷の自治制に関する古文書や、藩札・両替天秤をはじめとする実物資料など、日本商業史とくに「近世大阪の商業」をテーマにした貴重な史資料を収集・調査研究・展示・保管している。

 

 

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