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「理想の詩」理想的時間旅行(2018年春号)

Vol.6 リサイクル

理想科学のオルフィスのオプション機能がハイスピードで自動化してくれる「封入封かん」作業。
そもそも封筒はどうやって誕生し、いまの形にたどり着いたのか、その変遷を追います。

ABOUT ─私たちの生活に欠かせない「封筒」─

手紙、文書などの重要な文献を封入し、相手のもとへ運んだり、保存するのに用いられる封筒。同じく手紙を送る際に用いられるハガキと異なり、内容物の秘匿性を守ることもできる。現代を生きる私たちの日々の暮らしに、企業や公的機関などの活動に欠かせない道具だが、いまの姿が定着するまでの間に、その形状はさまざまな変化を遂げてきた。




(左)ミニレターの原型とも言える、
左上に切手が印刷された切手付き封筒。
明治6(1873)年に誕生、30年ほどで
販売停止となった。簡単な手紙にはハガ
キが主に用いられ、あまり普及しなかっ
たという。
(右)江戸時代の書状。中身を書いた紙
を、一定の折り方にそって封筒状にして
ある。

HISTORY ─封筒のルーツをたどると、行きつくのは奈良時代─

645年にしかれた律令制のもと、物資を運ぶ主要道に駅を設置する「駅伝」制度が定められた。飛駅使(ひえきし)と呼ばれる者が駅から駅へ文書を入れて運んでいたのが「駅伝箱」だ。戦国時代になると、主君の使いの武士が文書を運ぶ際に布製の「状袋(じょうぶくろ)」「文書袋」が使用される。文書を紙で包む形が初めて登場するのは江戸時代。やがて、明治、大正、昭和と、郵便制度の整備とともに形状の規格化が図られていった。



COLUMN 1

デザインいろいろ。封筒で意匠を楽しんだ日本人

1600年頃から誕生したとされる「絵半切(えはんぎり)」は、一面に絵が描かれた紙で中の文書を包むというもので、縦長の文書の形を生かしたデザインを楽しんでいた様子がうかがえる。明治時代に入ってもその流れは続き、さまざまな絵柄の封筒が愛好された。右上の封筒は明治時代に三越や白木屋といった有名デパートで販売されていたもの。

COLUMN 2

規格を定めることで、仕分け作業を効率化した

大正から昭和にかけて急速な人口増加とともに郵便の取扱量も膨大に。当時東京では1日12回の集配があり、郵便物数の総数は40億通を超えていたという。作業効率化のため、大・中・小の規格を初めて逓信省が定めたのが1914年。1932年には用品標準化委員会が長型・角型などの規格を制定。1964年、自動郵便区分機導入に先立ち、改めてJIS規格を制定。周知活動が行われ、定型郵便が全国に普及していった。

〈取材協力〉郵政博物館

1902年に開館した郵便博物館がルーツ。その後移転、改称を経て、2013年までは逓信総合博物館として運営。郵便に関する資料は東京スカイツリータウン内に2014年にオープンした「郵政博物館」において再公開となった。郵政博物館資料センターは、郵便および通信に関する資料の収蔵施設としての機能をもつほか保存、管理、調査・研究を行っている。

 

 

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