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Communicators - with Innovative mind(2018年秋号)


生き方や仕事観に迫るインタビュー「Communicators - with Innovative mind」。 今号は、国際芸術祭「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」をはじめとし、 全国各地で数々の芸術祭を手がけるアートディレクターの北川フラムさんに、 芸術祭にこめる思い、地域におけるアートの可能性などについてうかがいます。




(上)イリヤ&エミリア・カバコフ「棚田」撮影:中村脩
(下)クリスチャン・ポルタンスキー+ジャン・カルマン「最後の教室」撮影:貪谷拓朴

最終的な目的に掲げたのは「地域を元気にすること」

大地の芸術祭はもともと市町村合併事業として始まった

――今年で第7回を迎えたr大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ」は、地域での芸術祭の先駆けとして、世界的にもその名が知られています。北川さんは2000年の第1 回開催から総合デイレクターを務めていますが、そもそもこの芸術祭は、どのような経緯で誕生したのでしょうか。

  始まりは、国と新潟県が進めていた市町村合併事業でした。もともと、越後妻有地域にあった十H町市、川西町、中里村、津南町、松代町、松之山町の6市町村をひとつにまとめるために、合同で事業を展開することになり、6地域をアートでネックレスのようにつなぐ「アートネックレス整備構想」が持ち上がったのです。その旗振り役に指名されたのが私大地の芸術祭はもともと市町村合併事業として始まったでした。初めてこの地域を視察したのは、確か1996年の冬だったと思います。
  アートネックレス整備構想は、次の4つの事業から成り立っていました。①ステキ発見、②花の道ネットワーク、③ステージづくり、④大地の芸術祭。①は、この地域の「ステキ」を、どんなものでもいいから写真に撮って応募するというコンテスト。②は、「自宅の庭と地続きの道に花を植える」という、この地域の習恨をさらに発展させて、6市町村を結ぶ道沿いに花を植える事業。③は6市町村それぞれにアートの拠点をつくる事業で、十H町市に越後妻有里山現代美術館[キナーレ]、旧松代町にまつだい「農舞台」、旧松之山町に里山科学館・越後松之山「森の学校」キョロロ、津南町に農と縄文の体験実習館「なじょもん」がつくられました。そして、それらの集大成として④の大地の芸術祭が企画されたのです。


越後妻有で暮らす人々に元気と誇りを持ってほしい

――北川さんにとって、大地の芸術祭を開催する目的は何だったのでしょうか。

  私から見て、棚田などいまでも美しい里山の風景が残る越後妻有地域は素晴らしいところですが、地元の人にとってはごく当たり前の風景でしかなかった。そこで、芸術祭の中長期的かつ最終的な目標を、「この地域を元気にすること」とし、具体的には、ここに暮らす人々が自分たちの土地に誇りを持てるようにしたかった。キャッチフレーズ風にわかりやすくいえば、「じいちゃん、ばあちゃんの笑顔が見たい」ですね。

――北川さんから見た、越後妻有とはどのような地域でしょうか。

  越後妻有は、冬は雪に閉ざされる豪雪地帯であり、山と谷に囲まれた中山間地域です。厳しい自然環境にありますが、魅力的な暮らしや産物のある土地柄です。十日町市では縄文時代中期から狩猟生活が営まれていました。その後人々の生活は稲作へと移行しますが、平地の少ない土地だけに、山の斜面を苦労して耕し棚田を開墾してきました。そうやって日本一の米どころになり、一時は絹織物の有力産地になったのに、いまは過疎や高齢化、少子化にさらされています。

アートは、赤ちゃんのように人と人とをつなぐもの

――越後妻有の特色を多くの人々に知ってもらうために、アートはどんな役割を果たすのでしょうか。

  アートは赤ちゃんのようなものです。手間はかかるし、お金もかかるし、面倒くさいし、言うこともきかない。でも、どうしても気になる存在だし、見ているだけで面白い。そこに赤ちゃんがいることで、やがて人と人がつながり始める。つまりアートは、人と人を結びつけるコミュニケーションの媒介として働くんですね。大地の芸術祭でいえば、「アーティスト」と「地元の人」と「観光客」がアートで結ばれるのです。


草間弾生「花咲ける妻有」 撮影:中村脩

大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレとは?
新潟県十日町市と津南町(会場面積約760km2)を舞台に、2000年から3年に一度開催されている、世界最大級の国際芸術祭。農業を通して大地と関わってきた 「里山」の暮らしが残る地域で、「人間は自然に内包される」を基本理念に、アー トを媒介に地域の眠れる資源を掘り起こし、その魅力を世界に発信し、地域再生の道筋を築くのが狙い。第4回以降、作品数は350点を超え、第6回(2015年・開催日数50日)の来場者数は51万人超を記録した。2018年は第7回の開催年にあたり、7月29日-9月17日までの51日間開催。

「人間は自然に内包される」基本理念に凝縮された地元の暮らし

――大地の芸術祭には世界30〜40カ国のアーティストが参加していますが、地元の風景や素材をそのままモチーフに使った作品が目につきますね。

  アーティストには、越後妻有の特色を生かした作品づくりをお願いしています。大地の芸術祭の基本理念は「人間は自然に内包される」。この言葉には、過去数千年にわたって、絶対的な自然とともにあった越後妻有の人々の暮らしが凝縮されています。
  私が期待しているのは、アーティストの直感力。アーティストは直感に優れた人が多いので、この地を訪れただけで、美点や欠点を含め、この土地が持つ地域資源をほとんど直感的に発見してしまいます。棚田の美しさに魅了される者もいれば、廃校や廃屋にインスピレーションを得る者もいる。そうやってつくられたアート作品は、この地域の特色を的確に表現しているだけに、地元住民も観光客も感動できるのです。

――アート作品は、どのような工程でつくられるのでしょうか。

  大地の芸術祭の作品は、おおよそ4つの工程を経てつくられます。①アーティストが現地を訪れ、何か地域資源を発見し、作品の着想を得る。②アーティストが作品の素材を得るため、または作品の設置場所を借りるため、地元について学習しながら、地元住民との交流・交渉を試みる。この段階で初めて、いままで閉鎖的だった農村に開口部が生まれ、住民とアーティストの間でコミュニケーションが始まります。③アーティストが作品を制作し、設置する。ただし大がかりな作品が多いため、実際には「こへび隊」と呼ばれるボランティアの学生たちがアーティストの作業を手伝うことになります。とはいえ、学生諸君は肉体労働に慣れていないので、見るに見かねて地元の人が手伝ってくれたり、お茶やおにぎりを差し入れてくれたりするケースが多いですね。結果的に「アーティスト」「ボランティア」「地元住民」の「協働」が成立するので、地元の人もその作品に愛着を持つことができます。なお、私の知る限り「協働」という言葉は「こへび隊」による造語で、いまでは公用語にもなっています。④作品が現地で鑑賞される。アート作品の持つ力は、写真では絶対に伝わりません。実際に現地に赴いて作品と対峙した人のみ、空間感覚として理解できる。その感動が口コミで多くの人を呼び寄せるのです。まさに、アートというわけのわからないものが持つ力ですね。

アートは本来、暮らしに密着し、人々に喜びを与えるもの


(上)ジェームズ・タレル「光の館」 (下)マ・ヤンソン/ MAD アーキテクツ「ライトケーブ」 撮影:中村脩

――大地の芸術祭には、クリスチャン・ボルタンスキーやジェームズ・タレルなど、現代アートの巨匠が数多く参加しています。世界的にも有名な彼らが越後妻有を目指すのはなぜでしょうか。

  彼らも私と同様、現代アートの評価のされ方に疑問を抱いていたのでしょう。だからこそ、思い切って外の世界に飛び出したかったのだと思います。現代アートは長らく、美術館やギャラリーという実験室のように閉じられた空間で、評論家が評価するものでした。日本においても現代アートは人々から遠いところに存在していますね。その証拠に、誰でも音楽は「好き」「嫌い」で語るのに、現代アートは「わかる」「わからない」でしか語らない。理解の及ばない高尚な存在として遠ざけられているわけです。しかしアートは本来、ラスコーの洞窟壁画のように、人々の暮らしの中から自然発生的に生まれ、人々の暮らしに喜びを与えるものだったはず。私は大地の芸術祭で、アートが持つ喜びを人々の手に取り戻したいと考えました。先ほど述べたように、基本理念を「人間は自然に内包される」としたのも、越後妻有における人々の暮らし方や生きる知恵そのものがアートに通じると考えたからです。

――そんな大地の芸術祭も、回を重ねるごとに来場者数を伸ばし、世界的に広く知られる芸術祭となりました。

  今日では、従来の美術館ギャラリー型に代わる新たな展示スタイルとして、越後妻有型を確立できたのではないかと自負しています。事実、アジアを中心に、越後妻有をモデルにした芸術祭が盛んに開催されていますね。特に台湾では、多くの都市で芸術祭が開かれていて、そのすべてが「大地の芸術祭」を名乗っているほど。もはや普通名詞として扱われるほど、大地の芸術祭はポピュラーな存在になっているようです。現在、芸術祭を手伝ってくれているサポーターの8割は、上海や香港、台湾からやってきた外国人学生なんですよ。何だか大変なことになってきました(笑)。


五感を解放し、巡礼のように芸術祭を楽しむ人々

――2015年の第6回大地の芸術祭は来場者数が51万人。現在開催されている第7回は、さらにそれを上回る来場者数が見込まれています。ここまでの成功は、当初から予想されていましたか。

  全く予想できませんでした。何しろ第1回はほとんど人が来ませんでした。「北川さんが必要だというから巡回バスを運行させているけど、空気しか運んでいないようだ」と言われたほどです。人が来ないのは、作品があちこちの集落に分散しているせいだ。いまからでも遅くないので、全作品を信濃川の河川敷に集めて展示してはどうか。そんな声も聞かれました。しかし、私は拒否しました。なぜなら、それぞれの作品は、それぞれの集落と切っても切れない関係にあり、その場所に設置されてこそ意味のある作品だったからです。

――結果的に、作品をあちこちに分散させるというスタイルが当たりました。

  観光客にとって、最初は取っつきにくかったかもしれませんが、実際に作品を探して集落を歩いてみると、これが実に気持ちいいんですね。慣れない山道をたどった末に作品を見つける感動、足に跳ね返ってくる土の感触、むせかえるような草いきれ、汗だくの身体にそよぐ爽やかな風、折々に触れ合う地元の人や旅人との会話……。それらが五感を解放し、都市生活では味わえない何かを体験させてくれる。だからこそ、全体の4割以上の人がリピーターとなって、まるで巡礼のように何度も越後妻有を訪れるのです。

――芸術祭が成功したことで、地元の人たちの反応も変わりましたか。

  第3回くらいから大きく変わりました。芸術祭に前向きに取り組んでくれるだけでなく、観光客やボランティアの人たちとの交流を楽しむようになり、この地域の将来を真剣に考え始めた。また、アートを介して新たなコミュニケーションが生まれ、じいちゃん、ばあちゃんが笑顔にもなりました。嬉しいのは、地元のお母さんたちが子どもを連れて作品を見て回っていること。みんな口々に「楽しかった!」と言ってくれる。これがいいですね。子どもたちは知識や教養を通して作品に接するのではなく、作品そのものに直に触れて楽しんでいる。何度も言うように、これこそがアート本来の楽しみ方だと思うのです。

北川 フラム(きたがわ・ふらむ)
新潟県生まれ。東京藝術大学卒業。株 式会社アートフロントギャラリー主宰。「アントニオ・ガウディ展」(1978−79)「アパルトヘイト否(ノン)!国際美術展」(88−90)などの展覧会をプロデュース、2000年からスタートした「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」で総合ディレクターを務める。その後、「瀬戸内国際芸術祭」(2010〜)、「北アルプス国際芸術祭」(2017〜)、「奥能登国際芸術祭」(2017〜)などで総合ディレクターを歴任。2017年朝日賞受賞。主な著書に『ガウディを〈読む〉』(現代企画室)、『アートの地殻変動』(美術出版社)、『ひらく美術̶地域と人間のつながりを取り戻す』(ちくま新書)、『美術は地域をひらく大地の芸術祭10の思想』(現代企画室)など。ちなみに「フラム」は本名で、「前進」を表すノルウェー語のframから名付けられた。


  • 次回2018冬号は12月上旬のお届けを予定しております。

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