HOME > 知る・学ぶ > 理想の詩 > 「理想の詩」創り出す人々(2019年冬号)

「理想の詩」創り出す人々(2019年冬号)

伝統美を紡ぐ匠の手仕事

組子のデザインは、「麻の葉」(写真左部分)をはじめ200種類以上あり、通常使うのは20種類から30種類。「麻の葉」は、長襦袢の柄などにもよく使われ、魔除けなどの意味があるという。

衝撃だった組子との出合い

福岡県の南部、佐賀県との県境に位置する大川市は、日本有数の家具の産地として知られる町だ。もとは筑後川を通じて運ばれてくる大分県日田産の木材の集積地として発展。造船業から始まり、その後産業の中心は家具づくりへと移行していった。そんな中で、大川でも、繊細な幾何学模様の連続が美しい建具の技法「組子」がつくられ始めた。組子自体の歴史は室町時代まで遡るという。
木下さんは大川の建具屋だった父のもとに生まれ、高校卒業後、栃木県鹿沼市の建具屋に弟子入り。そこで初めて組子を目にし、その美しさに“神様がつくったのでは”と思うほどの衝撃を受けた。「それ以来すっかり組子に夢中になり、結局、建具と組子の両方で修業をしました」。計8年間にわたり、住み込みで師匠の“技を盗む”厳しい修業時代を乗り越え、木下さんは26歳で大川に帰郷。実家の建具屋を兄が継ぐかたわらで、ゼロから自身の組子専門工房を立ち上げた。

クルーズトレイン「ななつ星 in 九州」が転機に

組子は主に二間続きの和室に用いられる欄間や、床の間の側面にある書院障子などに使用されてきたが、ライフスタイルの変化で需要は減少。木下さんも、現代に合った製品づくりを模索する日々だった。そんなとき、木下さんが携わった仕事を見た工業デザイナーの水戸岡鋭治氏より、JR九州が運行する日本初の豪華クルーズトレイン「ななつ星」の車内を飾る障子製作の依頼が舞い込む。
「ふだんは動くことのない家のための障子をつくっていますから、“列車がどんなスピードで走っても障子が音をたてないように”という水戸岡さんの求めに頭を悩ませました」。一度は諦めかけたものの、「とにかく前向きにやってみて、だめなら皆で解決しましょう」という水戸岡氏の言葉に吹っ切れ、試行錯誤の結果、何とかクリアすることができた。それ以降も、デザイナーの100の要求に対し、“150、200にして、図面以上の仕事をする”ことを心がけながら、「或る列車」や東急の「ザロイヤルエクスプレス」などで水戸岡氏のデザインを具現化する仕事を続けている。「私は職人ですから、組子は作品ではなくあくまでも商品です。お客様が求めるものをいかに実現するか。そして求められる以上のいい物をつくり続けていくかがすべてなんです」。
現在は毎週「ななつ星」に乗車し、組子の木材の違いなどを乗客に解説しているほか、工業高校や小学校での授業を通し、組子文化の継承にも心を砕いている。「すでに教え子のうち9人が建具屋に就職してくれました。大川にはこういう仕事があるということを、少しでも若い世代に知ってもらえたらいいですね」と木下さん。郷里・大川の伝統を守る挑戦も続いていく。

組子に釘は一切使用しない。杉などを薄く削った部材を手作業で組み合わせ、木工用の接着剤で固定する。昔はご飯を潰した糊を使っていたそう。

杉は適度に柔らかく、部材同士がしっかりと組み合ってくれる。また、経年変化でいい色合いになるのも杉の特長で、木下さんは多用している。

モダンなインテリアにも合うようにとデザインされたランプシェード。光を透し、規則正しい幾何学模様が周囲に浮かび上がる様子が美しい。

水戸岡氏との仕事では「間を生かす」デザイン、「和モダン」のデザインなどが大いに勉強になったそうだ。

木下 正人(きのした・まさと)
1964年福岡県大川市で、建具屋の父のもとに生まれる。高校卒業後、栃木の建具屋で修業中に組子に出合う。1990年、大川で唯一の組子専門工房「木下木芸」を設立。2013年JR九州のクルーズトレイン「ななつ星」の車内装飾に組子が採用される。木下木芸のほか、建具屋や家具屋など志を共にする複数の木工会社で結成した職人集団「Team OKAWA」で、さまざまな仕事に当たっている。

  • 次回2020春号は3月上旬のお届けを予定しております。

『理想の詩』をお届けします。

本誌の定期送付(無料)をご希望の方は、ホームページの講読申し込みフォームまたは、ハガキに郵便番号、住所(希望送付先* 日本国内に限ります)、氏名(フリガナ)、電話番号をご記入の上、下記までお申し込みください。


・お申し込み先(ハガキ)
〒108-8385 東京都港区芝5-34-7 田町センタービル
理想科学工業株式会社 広報部『理想の詩』編集係

このページのトップへ