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「理想の詩」創り出す人々(2022年夏号)

涼やかな音色が運ぶ夏の風

購入者からは、「あなたのつくった風鈴の音を聴くと、昔を思い出し涙が止まらなくなった」という声もあったそう。外国人にも人気で、自宅に飾っている様子を手紙で知らせてくれるなど、意外な交流にもつながっている。

激動の時代を越えつくり続けてきた風鈴

 やわらかく澄んだ「ちりーん」という音が、風に乗って、軽やかに耳元を通り抜けていく。長年江戸風鈴をつくり続ける「篠原まるよし風鈴」の店先では、目に鮮やかな絵柄、耳に涼やかな音色のいくつもの風鈴が風に揺れていた。
 都内にある2軒のみが制作するという江戸風鈴は、同店の店主である篠原正義さんの父、故・儀治氏が命名。職人の手によって、江戸時代(1750年頃)から続く製法でつくられたガラスの風鈴を指す。形は丸型で、鳴り口(開口部)があえてギザギザに加工されており、風の吹き方に関わらず、振り管(中央の棒)が触れるだけでも優しい音色が出るよう工夫されている。
 日本で風鈴がつくられ始めた当初はガラスが貴重だったため、大名や豪商でなければ所有できないほどの高級品だったが、江戸時代末期には庶民にも普及。人々は風鈴を軒先に下げ、その音色を聴きながらのんびり涼み、暑い夏を凌いでいた。人々の生活リズムも住宅事情も様変わりした現代、生産量は激減したもののその魅力は変わらない。風鈴の音を耳にすると、無意識にふと一涼の風を思い浮かべてしまうほど、日本人の情感と結びついた存在でもある。
 正義さんの祖父は明治時代から風鈴を含むガラス製品をつくっており、やがて風鈴制作に一本化。震災や戦争、戦後の生活文化の激変も乗り越え、家業を続けてきた。正義さんは1990年に独立。長男の孝通さん、次男の通宏さん、妻の延子さんと共に、風鈴制作、制作体験などを通じ、風鈴の魅力を伝え続けている。

「風鈴のイヤリングをつくろう」と最初に考案したのは正義さんの父、故・儀治氏。80年代の半ばに発売したところメディアで話題となり、ヒット商品に。

キャラクターとのコラボやアクセサリーも

 宙吹きと呼ばれる、型も箸も使わない製法で一つ一つ手づくりされる江戸風鈴は、形も音色もそれぞれ微妙に異なる。「一吹き一吹きに心をこめてつくります」と正義さん。溶けたガラスを素早く成形するには、研ぎ澄まされた集中力と熟練の技術が求められる。正義さんからその技術を受け継ぐ孝通さん、通宏さんも、10年ほど従事してようやく宙吹きが身についたと話す。
 絵はすべてガラスの内側から描かれる。魔除の意味を持つ朱色の絵、「宝船と松(宝を待つ)」などの判じ絵、金運が上がるとされる金魚など、伝統的な柄はもちろん、正義さんは人気キャラクターとのコラボにもチャレンジ。さらには風鈴型のアクセサリーといった創作にも可能性を広げている。
 「風を音に変えるのが風鈴。風の強弱からさまざまなドラマを感じ取ってもらえれば」と正義さん。孝通さんは、「身近な伝統工芸なので、気軽に体験してみてほしい」、通宏さんは、「飾りさえすれば簡単に楽しめるのが魅力。音を聴きながらのんびり過ごす、そんな時間を味わってもらえたら」とそれぞれ話してくれた。
 この夏、かつての日本の暮らしに思いを馳せながら、風鈴の音色に耳を傾けてみてはいかがだろうか。

 1300℃の炉に竿を入れ、溶けたガラスを巻き取ると、細かく回転させながら素早く息を吹き込む。すべての動きが揃わなければたちまちガラスはいびつな形に。繰り返すことで正しい感覚を掴むしかない、熟練を要する職人技術だ。

 絵つけには主に油性顔料が使われる。丸い形状に合わせてバランスを見ながら、一筆一筆に集中し描き入れていく。モチーフは基本的には自由だが、日本らしさがあり、ガラスの透明性を生かした絵柄などが人気だという。

篠原まるよし風鈴(しのはらまるよしふうりん)
東京の下町、新御徒町駅すぐの佐竹商店街に店を構える。篠原正義さん、妻の延子さん、長男の孝通さん(写真左)と次男の通宏さん(写真右)の家族で年間12,000個ほどの風鈴を制作。川崎大師風鈴市や川越氷川神社へも納品。同店の風鈴を楽しめる。


「篠原まるよし風鈴」
https://www.edo-fuurin.com/

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