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「理想の詩」創り出す人々(2023年夏号)

手仕事が生む唯一無二の時計の世界

製造ペースは年に1、2本。独立して12年のキャリアでこれまで約20本が買い手の元へわたっていった。価格は数百万から1千万を超えるものも。写真はすべてプロトタイプ。

夢を後押ししてくれた和時計の存在

「独立時計師」とは、企業や組織に所属せず、図面描画からねじの製作、組み立てまでを個人で行い、独創的な時計をつくる職人を指す。スイスに本拠地を置く「独立時計師アカデミー(AHCI)」に所属する時計師は現在世界でわずか35人。そのうち2013年に当時最年少の30歳で日本人初の正会員となったのが、菊野昌宏さん。和を感じさせる繊細なデザインで、世界にたったひとつの精巧な機械式腕時計を、手作業で生み出している。

高校卒業後、職場の上司がたまたま見せてくれた機械式腕時計に興味を抱いたことが、菊野さんが時計師の道を歩む大きなきっかけとなった。

「当時自分が使っていた安価なデジタル時計に比べて、機械式時計は非常に高価で精巧なうえにゼンマイの動力で動くという。まずその事実に驚き、気づけば機械式時計の世界の虜になっていました」。その後、独立時計師の存在を知った菊野さんは一念発起して退職。時計学校に通いながら独学で時計をつくり始める。「でもやればやるほどその難しさに直面し、独立時計師の夢を諦めかけました」。そんなときに出合ったのが、幕末期の発明家、田中久重の手による万年時計だ。「300年前の人間がすべての部品を手づくりし、日本の暦に対応する和時計をつくり上げた。だったら自分もできるはずだと思い直しました」。そして最初に完成させた和時計が、スイスの独立時計師、フィリップ・デュフォー氏の目に留まったことが契機となり、AHCI正会員として承認されることとなった。

時計づくりの作業は緻密さを極め、極度の集中が求められる。肉眼では見えにくいため、作業には専用のルーペが欠かせない。

糸鋸を使い、細かい部品を切り出したり、文様の孔を開けていく。「少しでも削りすぎたりすると最初から作業がやり直しになるため、焦りは禁物です」。

ミリ単位で細かく仕上げた各パーツを組み合わせ、調整を繰り返す。まさに技術の粋を集め、その小さな躯体に閉じ込めることになる。

製作プロセスを可視化しお客様とストーリーを共有する

菊野さんの時計づくりは、オーダーした買い手との対話から始まる。「家族の思い出、大切にしている哲学など、ヒアリングした内容をコンセプトに落とし込み、デザインを練っていきます」。製作工程は細かく写真に収め、最後に写真集の形にし、完成品と合わせて買い手にわたすという。「私のつくる時計の独創性はそのプロセスにあります。それを可視化し伝えることで、この時計の本当の価値、魅力を知ってもらえたら」と菊野さん。

すべて手でつくりあげる意味について問うと、「私自身が楽しいから」としつつ、「究極の性能を求めれば人間性は不要になりますが、人は、同じ1人の人間が考え、試行錯誤してつくりあげたものに対して、素直に驚いたり感動したりワクワクしたりするはず。買い手とつくり手がそのストーリーや喜びを共有するという体験の価値を、追求したいのです」と話す。

世界にたったひとつ、唯一無二の時計を生み出す菊野さんの仕事から、これからも目が離せない。

完成品の納品時、一緒に手わたしているという写真集。

菊野 昌宏(きくの・まさひろ)
北海道生まれ。高校卒業後、自衛隊に所属。2005年、ヒコ・みづのジュエリーカレッジに入学。時計づくりを学ぶ。2010年、自動割駒式和時計の腕時計を3カ月で完成させる。2011年、時計・宝飾品見本市バーゼル・ワールドにて不定時法時計(和時計)を初出展。2013年AHCI正会員に。以来、こだわりの製造工程から生み出される独創的な時計が世界のコレクターから注目を集めている。


ホームページ
https://www.masahirokikuno.jp/

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