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「理想の詩」創り出す人々(2024年冬号)

雪国の手仕事が生み出す伝統の涼布

1955年には国の重要無形文化財に、また2009年にはユネスコ無形文化遺産に登録された小千谷縮。ただし文化財として認定された原料、製法などすべての条件下でつくられるのは年にわずかとなっている。

高温多湿の日本の夏にぴったりの織物

新潟県中部の魚沼・小千谷地域で、雪解け間近の2月から3月、青空のもと真っ白な雪上に色とりどりの反物が整然と並べられる「雪さらし」。太陽の熱で解けた雪が蒸発する際に発生するオゾンによって、布地を漂白し発色をよくする製法で、その風景は春の風物詩として長年親しまれている。
この地で生まれた麻織物「越後上布」は、古くは平安時代から最高級織物として朝廷などへの献上品に用いられてきたが、江戸時代中期、明石出身の浪人・堀次郎将俊が改良し、現在小千谷縮として知られる織物が誕生。通気性と速乾性に優れた小千谷縮は、夏服の素材として幕府や諸大名に愛用されていった。
「シボ(シワ)の凹凸が生む独特の”シャリ感“は、小千谷縮ならでは。原材料である苧麻特有の手触りのよさ、軽い着心地も大きな魅力です」と語るのは、小千谷市の織物製造販売会社に勤める黒崎公博さん。小千谷縮は、糸の段階で横糸に強い撚りをかけて布を織るため、織りあがった後に湯の中で強くもみこむことで、糸が収縮。それによって繊細なシボが形成され、独特の味わいが生まれる。
黒崎さんは、自社工房で麻織物の染色加工や仕上げに携わるほか、小千谷縮のシボを出すための手湯もみの工程も担当している。

縮みを出すための最終工程が湯もみ。強い撚りをかけて織られた横糸が、湯の中でもむことで収縮し、細かなシボが生まれる。

「雪さらし」は、現代のように染料や生地の品質が安定していなかった時代に編み出された。

人気が高まる反面担い手不足が課題に

父親の仕事の関係で子ども時代を過ごしたフランスでは、よく美術館を訪れていたという黒崎さん。アートやデザイン領域への関心を保ちながら、横浜でアパレル関係の仕事に従事していたが、結婚を機に妻の実家の家業である織物製造に惹かれるように。「初めて工房を訪れたときから面白そうだと感じ、自分でやってみたいという思いが募っていきました」。妻の出産のタイミングで移住を決意。営業として取引先を回る年月を経て、6年ほど前につくり手へと転身を果たした。
麻織物の染色は色見本帳に網羅されており、貴重なデータベースとして職人全員が共有している。指定された色の再現に、ときに苦心するという黒崎さん。社内のデザイナーとの間で何度もフィードバックを繰り返し、目指す色を実現している。「既製品である以上つくり手のクセが出ないよう細心の注意を払いますが、一方で、刷毛の使い方は職人によって微妙に違う。1点1点異なる表情、味わいが出るのも手仕事の良さ」とも語る。
夏場の着物や寝装具の用途で人気が高まる小千谷縮だが、担い手不足による生産量の減少が課題だ。「僕ら若い世代の職人が力を合わせて小千谷縮の良さをより多くの人に知ってもらい、この産業を盛り上げていきたい」と黒崎さん。伝統あるものづくりの価値を後世につなげるための挑戦は、始まったばかりだ。

図案から型紙づくり、染色、仕上げまでを自社工房で行う同社。図案に応じた色の調合も染色職人の重要な仕事だ。

乾燥室に広げられた縮生地。ここから着物をはじめさまざまな形に加工されていく。

染めの作業に使用する刷毛。鹿や豚の毛が用いられている。

黒崎 公博(くろさき・ともひろ)
1980年生まれ。横浜市出身。アパレル業界で営業やPRの仕事に従事した後、妻の実家である、伝統織物の企画製造会社・水田株式会社に入社。営業経験を積んだ後に染色技術を習得する。小千谷織物同業協同組合青年部のメンバーとして、若手の同業者たちと全国各地の伝統織物の産地を巡る勉強会などを実施。小千谷縮の振興に尽力している。

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