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「理想の詩」Close Up(2022年夏号)

時を越えて思いを伝える
−印刷というビジュアル・コミュニケーション

人類の長い歴史の中で、社会を動かし、文化をつくり、生活を支えてきた「印刷」。
その多彩な技術や、社会・文化的な変遷をたどりながら、印刷の意義や可能性について考えるべく、印刷博物館を訪ねた。

「デジタル隆盛の時代で、印刷技術がかえりみられることはあまりないかもしれませんが、印刷はいま私たちが生きている社会や、享受している文化の形成に欠かせないものでした」と学芸員の式さん。

伝えたい思いがあったからこそ発展した技術

 紙、インク、版、圧力を使って情報を複製する、印刷。「1万年前から、人は自分の手形を版にして、壁に色を転写していました。それほど太古から、ある意味人は印刷という行為を行っていたんです」と話すのは、印刷博物館の学芸員・式洋子さんだ。
 奈良時代の「百万塔陀羅尼」など、日本でも1000年以上前から印刷は行われていたが、西洋では原本を手で書き写す「写本」による複製が主流の時代が長く続いた。歴史の大きな転換点となったのは、15世紀のグーテンベルクによる活版印刷術の発明だ。改ざんや誤表記、手間もかかった写本と異なり、同一のコンテンツを共有することが可能に。聖書が印刷され布教に役立てられるなど、情報伝達のありかたは激変した。一方日本では木版印刷が洗練化。江戸時代には学問書だけでなく趣味本、ガイド本など娯楽目的の商業出版文化が花開く。明治に入ると西洋の活版印刷が導入され、生産力が向上したことで、印刷物はますます低価格化、大衆化。人々の意識形成や、大衆文化の醸成に大きく関わっていった。
 歴史の中で多様化していった印刷技術だが、いずれも共通するのは「版」の存在。凸版、凹版、平版、孔版と大別され、現在もそれぞれの特徴を生かした印刷に活用されている。
 印刷の歴史は、情報を広めたい、あるいは祈りといった”思い“を、人類がいかに伝えてきたかを示す、ビジュアル・コミュニケーションの変遷でもある。「印刷という技術は決して単純なものではありません。緊張感と労力を伴って発信されるぶん、情報に重みがありますし、紙というモノとして残ることも大きい」とも。「同じ情報を多くの人と共有することが当たり前ではなかった時代、先人たちが創意工夫してきた軌跡の先に、いまの印刷がある。それを知っていただければ嬉しいですね」と話してくれた。
 あらためて振り返る印刷の歴史の中に見えたのは、変わらない人々の思いだった。

 「百万塔陀羅尼」(764〜770年)。印刷年代が明確な世界最古の印刷物。国家安泰を願い孝謙天皇が経文を100万枚印刷した。写真はレプリカ。

 1932(昭和7)年に日本で初めて色刷りされた教科書(発行は翌年)。

 謄写版印刷機、通称ガリ版。ロウ引き原紙に鉄筆で文字を書き、紙をセットし、上からインクをローラーで刷って印刷した。明治〜昭和時代、テストや学級新聞など学校で活用された。

 謄写版の仕組みを活用した理想科学の家庭用印刷機「プリントゴッコ」。これを使った年賀状づくりが、パソコン普及前の家庭で風物詩となった。

印刷博物館
凸版印刷株式会社により2000(平成12)年創設。貴重な収蔵品から印刷文化の変遷をたどるメインの展示室、印刷体験ができる印刷工房などから成る。館内にあるライブラリーは、『理想の詩』バックナンバーを含め、印刷に関連する約7万冊の図書を収蔵する。

お話を伺った学芸員・式洋子さん。




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